なにかと話題のユネスコ「記憶遺産」。この記憶遺産の候補になっているひとつが杉原千畝氏が発行していた「命のビザ」


「ユダヤ人の命のビザを発行し続けた杉原千畝」の出身地、岐阜県八百津町には『杉原千畝記念館』があります
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こちらの記念館、半年ほど前にリニューアルして、より見やすく、わかりやすい展示になりました。この頃、メディアにも頻繁に登場しており、注目度も上がっているので、記念館でじっくり当時のことについて静かに考えたりするのは、場合によっては難しいこともありますが(笑)じっくり読んでると、心が重くなる。あんまり、じっくりみていると涙が出る。


さて「杉原千畝」は、第二次世界大戦中に、ナチスドイツやナチスに影響を受けた国々から追い出されたり、集団で殺害されるなど迫害を受け、行き場をなくしていたユダヤ人に日本経由で第3国へのビザを発行した外交官。当時、ドイツや東欧に暮らしていたユダヤ人はその迫害の影響で、東へ東へと逃れてきたが、ソ連は受け入れを拒否し、周辺の国もナチスやソ連の影響を受け、ユダヤ人へのビザの発給は停止していた。リトアニアの領事館で大使をしていた杉原千畝は、行き場をなくして、ナチスが迫る危機を感じていた人たちの訴えに応じ、日本経由での第三国へ向かうビザを発行する。当時は日独伊三国軍事同盟締結直前でナチスが迫害していたユダヤ人を助けることはドイツの意に反することであり、日本政府もビザの発給を認めてはいなかったが、目の前のユダヤ人の人たちを助けたい思いで、杉原千畝氏はビザを発行し続けたそうです。「命のビザ」を受け取った人はシベリア鉄道を経由し日本に向かう船に乗り、日米開戦までアメリカに向かうなどして命を救われたとのこと。

杉原千畝氏本人は、本国の意向に反した行動をしたため、その後、外交官を辞めることになり、この話はながく表に出てくることはなかったのですが「命のビザ」によって命を救われた人たちから国際的に人道的な行動をしたことに対して評価され、当地に記念館が建設され、戦後70年の今年は映画にもなる。
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さて、こんなニュースが。記憶遺産候補の効果 杉原千畝記念館30万人達成 http://www.sankei.com/west/news/151024/wst1510240047-n1.html
えっ、昨日いったのにwww


なにかと話題の杉原千畝氏。この機会に、どうですかね。たまには、よいかと。

では。