毎週金曜日に白川町役場前にある「Caféときどき庵」にて「朝カフェ」しています。「朝カフェ」何をしているのか?といえばB紙(模造紙)をテーブルに広げて、参加者数人で1週間の出来事について話したり、最近思うことについて話したり、出てきたテーマ、キーワードについて対話するというもの。この方法(手法)を「ワールドカフェ」と言っています。
この朝カフェに限らず、「ワールドカフェ」というのが数年前からちょくちょく各所で開催されています。いわゆる、「まちおこし」的な取り組みで地域住民を集めて開催されるものや「企業研修」でも取り組まれています。ただ、具体的に得られる成果というのは、必ずしも目に見えてわかることばかりではなく“ワールドカフェはしたけれども”“ワールドカフェでアイディアは出たけれども”その先に続かない…。といたことは少なくありません。(僕が学生の頃、いわゆる「まちづくり」をする際には、一にも二にも「KJ法」によっての話し合いでした。)
※「KJ法」とは川喜田二郎氏がデータをまとめる手法として考案したもの。KJは川喜田氏のイニシャル。ワールドカフェが対話をしながらB紙に直接書き込みのに比べて、KJ法は一度カード(多くの場合ポストイット)に自分のアイディアを書いて、みんなの意見やアイディア感想をまとめていくというもの。ちなみに、KJ法にはファシリテーターと呼ばれるグループの話をまとめていく人が必要ですが、ワールドカフェには必要ありません。ちなみに、僕は「岐阜県コミュニティ診断士」という資格持っています。
さて、昨日読んでいたブログにこんな記事がありました。なんでもコピーできる時代に、ライブの価値はますます高まる SNSで誰とでも、いつでも交流ができる時代でも、その空間でなければ体感できないことに価値があるのとのこと。つまり「ワールドカフェ」や「KJ法」見方を変えれば、いまの時代の『最高のエンターテインメント』ではないか。「ワールドカフェ」を1度でも体験したことがある方なら、お分かりいただけるかと思いますが、「ワールドカフェ」はそのテーブルに集まった人、次第でなんとでも面白くなる。むしろ、そのテーブルごとの「ライブ感」に高揚感を感じたことがある方も多いのではないでしょうか?
先日、Eテレで放送された「ニッポンのジレンマ」をみていたら「人工知能が発展してくれば、人の議論はムダになる。そもそも、見ている方向が違えば、結論が違う」という意見がありました。テレビ朝日の「朝生」しかり、Eテレの「ニッポンのジレンマ」しかり、この討論番組は、結論なんかでやしない。けれども、僕らはなんで見ているのか?といえば、エンターテインメントとして面白いから。トークセッションでも同じことだけれど、このメンバーでこの議論がされるは今回のみ。もっとも、面白がっているのか、視聴者よりも実際に話している出演者のほうだと思うけど。
「朝生」でおなじみの田原総一朗さんも「議論することで分かりあうことができる」「正解の出ないテーマを議論することで新しい意見が出る」「議論することで自分事として物事をとらえることができる」と、先日、Eテレで放送された「東北発!未来塾」で言われていたのですが、議論することで正解が出るとは限らない。むしろ、幕末の英雄「坂本龍馬」は議論するよりも、一人の人間がとことん考えた方が良いと思っていたようですし、まちおこしのフロントランナー「木下斉」さんは著書『稼ぐまちが地方を変える』のなかで、ワークショップ(KJ法等)について“関係者の自己満足しているだけで、誰も真剣に、まちづくりのことなど考えていないわけです。エンターテインメントとしては面白いことは理解できますが、税金を使ってやることではありません”とバッサリ言われています。
ここまで、ワークショップとKJ法について書いてきましたが、これら2つの手法が、具体性をもって社会にインパクトを与えているという確証は僕の中にはありません。もちろん、KJ法やワークショップが公共インフラを整備する際の参考にされていることは知っています。しかし、朝カフェのような個々の対話の場で社会に大きなインパクトを与えるような変化を起こすことはできないでしょう。
今年も、明日1月8日(金)から「朝カフェ」が毎週金曜日にはじまります。「なんでやっているのか?」と言えば、前回の朝カフェについて書いた記事にも3つ理由をあげましたが、それに加えて【SNS全盛の時代に、あえて顔を突き合わせて、B紙を囲んで、対話しながら手書きで話の内容を書き込んでいく、この朝カフェでのワールドカフェは、最高のエンターテインメント】だということ。人口減少著しい(笑)白川町ですが、ちょっと視点を変えれば、このまちの中で、開催されている、お金のかからないエンターテインメントに参加していました。というこで、今年もぼちぼち楽しく参加していきたいと思います。
では。
この朝カフェに限らず、「ワールドカフェ」というのが数年前からちょくちょく各所で開催されています。いわゆる、「まちおこし」的な取り組みで地域住民を集めて開催されるものや「企業研修」でも取り組まれています。ただ、具体的に得られる成果というのは、必ずしも目に見えてわかることばかりではなく“ワールドカフェはしたけれども”“ワールドカフェでアイディアは出たけれども”その先に続かない…。といたことは少なくありません。(僕が学生の頃、いわゆる「まちづくり」をする際には、一にも二にも「KJ法」によっての話し合いでした。)
※「KJ法」とは川喜田二郎氏がデータをまとめる手法として考案したもの。KJは川喜田氏のイニシャル。ワールドカフェが対話をしながらB紙に直接書き込みのに比べて、KJ法は一度カード(多くの場合ポストイット)に自分のアイディアを書いて、みんなの意見やアイディア感想をまとめていくというもの。ちなみに、KJ法にはファシリテーターと呼ばれるグループの話をまとめていく人が必要ですが、ワールドカフェには必要ありません。ちなみに、僕は「岐阜県コミュニティ診断士」という資格持っています。
さて、昨日読んでいたブログにこんな記事がありました。なんでもコピーできる時代に、ライブの価値はますます高まる SNSで誰とでも、いつでも交流ができる時代でも、その空間でなければ体感できないことに価値があるのとのこと。つまり「ワールドカフェ」や「KJ法」見方を変えれば、いまの時代の『最高のエンターテインメント』ではないか。「ワールドカフェ」を1度でも体験したことがある方なら、お分かりいただけるかと思いますが、「ワールドカフェ」はそのテーブルに集まった人、次第でなんとでも面白くなる。むしろ、そのテーブルごとの「ライブ感」に高揚感を感じたことがある方も多いのではないでしょうか?
先日、Eテレで放送された「ニッポンのジレンマ」をみていたら「人工知能が発展してくれば、人の議論はムダになる。そもそも、見ている方向が違えば、結論が違う」という意見がありました。テレビ朝日の「朝生」しかり、Eテレの「ニッポンのジレンマ」しかり、この討論番組は、結論なんかでやしない。けれども、僕らはなんで見ているのか?といえば、エンターテインメントとして面白いから。トークセッションでも同じことだけれど、このメンバーでこの議論がされるは今回のみ。もっとも、面白がっているのか、視聴者よりも実際に話している出演者のほうだと思うけど。
「朝生」でおなじみの田原総一朗さんも「議論することで分かりあうことができる」「正解の出ないテーマを議論することで新しい意見が出る」「議論することで自分事として物事をとらえることができる」と、先日、Eテレで放送された「東北発!未来塾」で言われていたのですが、議論することで正解が出るとは限らない。むしろ、幕末の英雄「坂本龍馬」は議論するよりも、一人の人間がとことん考えた方が良いと思っていたようですし、まちおこしのフロントランナー「木下斉」さんは著書『稼ぐまちが地方を変える』のなかで、ワークショップ(KJ法等)について“関係者の自己満足しているだけで、誰も真剣に、まちづくりのことなど考えていないわけです。エンターテインメントとしては面白いことは理解できますが、税金を使ってやることではありません”とバッサリ言われています。
ここまで、ワークショップとKJ法について書いてきましたが、これら2つの手法が、具体性をもって社会にインパクトを与えているという確証は僕の中にはありません。もちろん、KJ法やワークショップが公共インフラを整備する際の参考にされていることは知っています。しかし、朝カフェのような個々の対話の場で社会に大きなインパクトを与えるような変化を起こすことはできないでしょう。
今年も、明日1月8日(金)から「朝カフェ」が毎週金曜日にはじまります。「なんでやっているのか?」と言えば、前回の朝カフェについて書いた記事にも3つ理由をあげましたが、それに加えて【SNS全盛の時代に、あえて顔を突き合わせて、B紙を囲んで、対話しながら手書きで話の内容を書き込んでいく、この朝カフェでのワールドカフェは、最高のエンターテインメント】だということ。人口減少著しい(笑)白川町ですが、ちょっと視点を変えれば、このまちの中で、開催されている、お金のかからないエンターテインメントに参加していました。というこで、今年もぼちぼち楽しく参加していきたいと思います。
では。