休日なので、ぶらぶらと街を歩いていたら、名古屋市美術館の横を通りかかったので、フラッと行ってみました(笑)
事前の知識はなく、ただなんとなく面白そうな展示会が名古屋市美術館で開催されていることは知っていたので、寄ってみました。
入って「人、多い!」(失礼w)前回来たときは全然人がいなかったのに…。どうやら、きょうはボランティアによるギャラリートークが行われ、たまたまその開始時間に居合わせたようです。もっとも、美術館でぞろぞろと絵を鑑賞するのはどうにも受け入れがたかったので(笑)すらりと抜いていきました。
さて、藤田嗣治氏は日本人ですが日本人ではないようです。日本で生まれ、絵を学び、パリに渡り、ピカソと親しくなるほど、評価されるも日本での評価はイマイチ。しかし、父がかつて軍医総監だったことから戦時中に戦争画を描き、それが世間に認められた。だが、戦後に戦争責任を美術関係者から問われ日本を追われ、フランス国籍を取得して日本国籍を抹消する。祖国のために戦争画を描いたにも関わらず、それが同じ絵を描く者から戦争責任を責められ、日本から去った。
藤田嗣治の人生の生きざまを美術館で感じられたような気がする。人生のその時代において、作風がかわっていくのは、なかなか見ごたえがありました。
とくに、戦争画。
『アッツ島玉砕』
天気がよかったので科学館も撮影してみた
事前の知識はなく、ただなんとなく面白そうな展示会が名古屋市美術館で開催されていることは知っていたので、寄ってみました。
入って「人、多い!」(失礼w)前回来たときは全然人がいなかったのに…。どうやら、きょうはボランティアによるギャラリートークが行われ、たまたまその開始時間に居合わせたようです。もっとも、美術館でぞろぞろと絵を鑑賞するのはどうにも受け入れがたかったので(笑)すらりと抜いていきました。
さて、藤田嗣治氏は日本人ですが日本人ではないようです。日本で生まれ、絵を学び、パリに渡り、ピカソと親しくなるほど、評価されるも日本での評価はイマイチ。しかし、父がかつて軍医総監だったことから戦時中に戦争画を描き、それが世間に認められた。だが、戦後に戦争責任を美術関係者から問われ日本を追われ、フランス国籍を取得して日本国籍を抹消する。祖国のために戦争画を描いたにも関わらず、それが同じ絵を描く者から戦争責任を責められ、日本から去った。
藤田嗣治の人生の生きざまを美術館で感じられたような気がする。人生のその時代において、作風がかわっていくのは、なかなか見ごたえがありました。
とくに、戦争画。
『アッツ島玉砕』
天気がよかったので科学館も撮影してみた