岐阜県は白川町の360度、どこを見渡したって山に行き着く山里に暮らしているぼく。そんな、ぼくの家の裏か横かにあるのが「佐久田神社」です。もう18年(20年近く)前から開催されているNPO法人むらざと主催の「朝市楽座」の会場としてもお馴染みです。
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秋のイチョウの紅葉が綺麗なこの場所。祖母は“もり”と呼んでいますが、まさに森。ここだけ森。いや「杜」だな。360度、山ではあるけれど近くは田んぼや家屋があり、ここだけ木が突き出ている。なので、たまに雷が落ちる(笑)20年以上前かな。ぼくがまだ、保育園児の頃、どーんと落ちた(笑)そのときは、保育園にいたのかな。それでも、なんか雷が落ちたような覚えがあるような、ないような。また、いつか落ちるかな。
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起源は不明。白川町誌(古い方)によると、地元の人たちが、度重なる鱒渕川(ますぶちがわ)の氾濫を治めるためにここに神社を置いたのがはじまりのようです。たしかに、祖母は大雨が降る度に“ここは、伊勢湾台風のときに浸かったんや”と言っているので、最近はないけれど100年に1回の豪雨になると川が氾濫するかもしれない。当時からは治水工事も進み橋の支柱も無くなり、よっぽどないと思ってます。が、Googleearthをみると川が家に向かってくる手前に神社があって、急に川がカーブしている。こりゃ、神社なきゃ川溢れとるわw
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かつて、もっと多くの神社が黒川にもあったようですが明治政府の一村一社によって、この佐久田神社に集約されたとの記載がありました。佐久田神社の西側に社がありますが、ここにどうやら集約されてきたようです。
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他にも、こちらの神社には郷土の偉人「田口俊平」の碑があります。
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この田口俊平という人は、江戸時代に黒川に生まれ。医学、測量術、砲術、蘭学を学んだ後。長崎でのちの勝海舟等と仕事をしたのち、幕末に幕府から派遣されオランダで造船技術など学ぶために留学。その後を期待されながら大政奉還の1ヶ月後に亡くなった(享年50歳)。昭和になってから(昭和3年)近代化への貢献が認められ従五位が与えられました。この際に佐久田神社には第二次大戦中最後の首相となった鈴木氏の字をもとに彫られた碑が地元の人たちによって建てられました。
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神社の裏には「春日広場」という広場があって、かまくらをつくったり、キャッチボールしたり、その気になればBBQもキャンプもできる広場があります(笑)。昭和のはじめ頃までは、ここには春日座と呼ばれた芝居小屋があったようです。いまは、なにもないですが。
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そんなわけで、まとまりのない紹介になりましたが、こちら、佐久田神社。山里のまちのなかにある、地元の人たちに大切にされている小さな神社です。
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「佐久田神社」
・場所 白川町黒川305
・アクセス 東海環状自動車道美濃加茂ICから車で60分、県道70号線白川福岡線沿い
・駐車場 特にないが問題ない
・拝観時間 なし
・拝観料 無料

※同じ黒川にある「佐久良太神社」とは違います。