11月5日(月)の早朝、母方の祖母が亡くなった。83歳だった。

いつもニコニコしていて、優しいおばあちゃんだった。

おばあちゃんにとって、ぼくは、たったひとりの孫。いくと、いつも、たいへん喜んでくれた。

ただ、ここ数年は年に1回会いに行けるかどうか、そんな感じだった。

今年の初夏にガンが見つかった。すい臓ガンだった。前から、「腰が痛い痛い」と言っていたようだけれど、我慢していたようだ。

ガンだってことがわかって、ことしの6月に、おじいちゃんとおばあちゃんと3人で出かけた。はじめは、もう少し遠いところにとおもっていたけれど、可児のお寿司屋さんと美濃加茂の里山公園とお茶カフェ。そして、ドライブのようなかたちで戻ってきた。

とても、とても喜んでくれていた。

ここ数回、出会ったときには、涙を流して喜んでくれた。


からだが痛い、さみしい、くるしい、そんななかで、会いに行くと、とても、とても喜んでくれていた。

その、おばあちゃんが亡くなった。



昨日が友引だったから、葬儀は今日。


月曜日に亡くなって自宅に戻って、火曜日は1日自宅で過ごして、水曜日の夕方に出発して、通夜をして、木曜日の今日は葬儀だった。

交遊関係がそんなに広いわけじゃないけれど、昨日の通夜は、たくさんの方が訪れてくれた。

晩年は物忘れもあって、同じ話を何度も何度も言うこともあった。それでも、近所の人に親しくしてもらって、愛されていたようだった。

幼少の頃は、2歳で母親と死に別れ、母の顔を知らないのだそうだ。その後、兄弟と別れたりしながらも、父親の仕事の関係で長野県の木曽で育った。片道7km。往復14kmの道のりを歩いてかよって学校に通った。電気もない生活だった。いまでは、考えられないような壮絶な生活だった。

結婚して、白川町の佐見の稲田に来た。

そこからは、穏やかな生活をしていた。とのこと。 

ぼくが見てきたのは、この20数年。本当に見てきて、知っている時間は短い。

ただ、その一瞬、一瞬が大切な思い出なんだ。

やっぱり寂しいよね。



10月の上旬に入院して、それから紅葉をみることなく亡くなった。

佐見川沿いは、町内でも随一の紅葉スポット。昨日も今日も、美しく紅葉している。

今日の葬儀の祭壇には、綺麗な“もみじ”が飾られていた。近所の人が、紅葉狩りをしてきてくれたのだ。写真もあった。葬儀場のスタッフの方が撮影してきてくれたそうだ。

棺には“もみじ”が、ふんだんに入れられた。ほんとうに、ほんとうに、たくさんの“もみじ”が入れられた。

大好きだった、佐見の紅葉。最後に見られなかったからという、まわりの人たちの粋な計らいだった。

きのうの通夜も、きょうの葬儀も、ほんとうによかったと思う。なんとまあ、素敵に送り出していただけたかと思う。

もはや、本人にとっては、よくわかんないけれど、残された僕たちにとっての、大切な場だった。




母方の親戚の皆さんに会うのは、随分と久しぶりだ。多くは、母の祖母、僕の曾祖母の葬儀の時以来。もう、20年以上前。僕が小学生1年生の5月だった。ほぼ、覚えていない。会う人、会う人、わからない。が、向こうは覚えてくれていたり。20年経ちました。


ありがとうございました。

ありがとうございます。



最後、心残りだとしたら、もう少し元気なときに会って、遊びに行けたらよかったかなと思う。写真も、もっとって、動画もあればよかったかな。ん、引きずっちゃうかな。

それでも、6月の調子のいい日に3人で遊びに行けたのはほんとうによかった。って、おじいちゃんが、何回も言ってくれたのが、ほんとうによかった。

亡くなってからは、どんなに尽くしても、もうこちらの納得感。できれば、生前に、できるだけ。心にとめておこう。


おばあちゃん。ありがとう。


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