岐阜県が主催している「過疎地域リーダー講座『ぎふ・地域づくりクエスト(きふクエ)』」の講座の一環で“人口が日本一少ない町”の山梨県・早川町にフィールドワークへ行ってきました。今回はフィールドワークの舞台となった【早川町】についてご紹介します。

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正直、今回の講座を受講するまで「早川町」を知らなかった。調べてみると、全国ニュースになっていることがあったりして、耳にはしているけど意識はしていなかったみたい。そんな早川町をざっくりまとました。

“人口が日本一少ない町”ということで人口1000人を切って、過疎地域の最先端をいっている早川町。「朝は猿/昼はダンプ/夜は鹿で渋滞する」という町言葉があります。


僕の暮らす岐阜県白川町も“過疎地域”に指定されていますが、面積では白川町237.9 km²早川町369.9 km²。面積では、白川町の1.5倍。(白川町+東白川村+七宗町の面積より大きい)人口は白川町7,402人(23年2月1日現在)、早川町929人(23年1月1日現在)人口では白川町が7.9倍と。白川町も過疎地域、過疎地域と言われて久しいですが、早川町はブッちぎりです。



そんな早川町は自然豊かな町かと思いきや、確かに高い山に囲まれているのですが、最近では「リニア」のトンネル工事や、ダムに溜まった土砂の撤去などで、大量のダンプが平日の日中ずーっと走っています。すんごい、ダンプばかりで道沿いの車が白くなっていたりします。

他にも、家屋はそれなりにあるのですが、ほぼ空き家。民家はあるけど、集落には誰も住んでいないことも。

そういうわけで、「家は多いけど空き家ばかり」「田畑はあるけど耕作放棄地」「町びとが人が少ない(歩いていない)」「商店も少ない(ほぼない)」「道はダンプばっかり」「仕事の場がない(役場とか…)」「聞くところによると「鹿」で渋滞する」らしい。で、工事の関係もあって、川があんまりきれいじゃないんです…。

早川町の歴史を振り返ると、かつては林業と発電所で栄えた」ようです。1956年9月30日に6村の合併によって誕生し、1960年には人口10,679人。(2023年1月1日現在929人)。高齢者の増加と若年者の減少による過疎化が続いています。


早川町は、「人口が日本一少ない町」の他、現役首長最多11期目として活躍されている辻町長がいらっしゃいます。初当選初当選1980年(昭和55年)ということでぶっちぎりです。

交流会での辻町長の挨拶の様子。
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それでも、町の期待を受けて町政を率いている印象を受けました。民間からの出馬で、早川町のことをとても愛しているようです。





かつて、林業や水力発電での仕事があり、多くの人が早川町に住んでいた時代があった。しかし、林業の衰退も水力発電の自動化に伴い“稼げる雇用の場”が喪失した。これが、早川町の人口減少の一番大きな要因じゃないかと思う。


以下は少し古い(2009年)のデータだが、早川町で一番従業員の多い産業は宿泊サービス業となっており次いで建設業となっている。
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一方で、白川町は建設業と製造業がまちの産業の中心。宿泊業、飲食サービス業は全体の4.8%と極小数にとどまっている。
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早川町の産業を見てみると、そもそも“製造業”が存在しない。工場で人を雇ってモノを作っているわけではない。

その一方で、白川町ではトヨタを中心とした経済圏の中でその恩恵を受けつつ、木材加工などの産業がいまだに健在。

早川町ではかつて林業で栄えながらもそこから派生した第2次産業がなかったことが、急激な人口減少に繋がったと推測できる。あとは、一時的に1万人を超えたとしても、昔から先祖代々暮らしていた人は少なかったのかもしれない。一般的な農地には向かず、雑穀や蕎麦、サツマイモが栽培されてきたという背景から、無理して居住を続ける理由が少ない人が多のかもしれないとも推察できる。

その一方で、空き家や耕作放棄地を手放したり貸し出したりする人がとても少ないそうだ。そのため、移住者向けの貸出や宿泊施設への活用に大きな壁となっているらしい。